金魚運動で全て解決します。保存会

旧はてなダイアリー id:mrnkn で公開されていた日記です。更新はされません。

(;´Д`)y-~再び

http://seizo.inte.co.jp/beshi/r/?k=070624pw8c467e1a1717949
先月やってみた診断サイトを何を思ったかもういちどやってみたわけですが、モテサイドに墜ちたあいつと同じハードボイルド型でした!意識的にチェックを多めに(複数選択できるところでは迷ったら全部つけるくらいの勢いで)してみたら、パラメータの傾向はさほど変わらんけどもちょっとは各値が大きくなったらしい。
前回になかったコメントとして「カッコ悪いことはしたくない」「自己完結した生き方」といったあたりは、たしかに自分でも自覚があるというか、方向性としてあるんだよなあ。現実にはそうやってどこへも手を出さないあたりがかえってカッコ悪かったりするんだろうけどな。あははー

アグレッシブさが足らないってのは実際に方々で言われてるのだが

そもそも俺のアグレッシブさが低調なのは大きくわけて2段階の形成過程があると思っている。
ひとつめは幼少期(小学校まで)にアグレッシブな行動をすべて叩かれてきたという体験記憶によるもの。早い話が苛められたということだな。
ふたつめは中学校以降。中学受験で環境のチェンジに成功し、中学校からはアグレッシブさを極力出さないというのが基本姿勢になった。いわば逆中学デビュー。それでもなんかのきっかけでアグレッシブな行動を手掛けざるを得ないことが何度かはあるわけで。そしてそれらのほとんどが裏目に出た、という記憶が俺をさらにアグレッシブさの対極へと凹ませた。外から見たらそれなりにうまくいってることもあるんだけど、うまくいってることについては首謀者が別にいて俺は乗ってるだけというパターンばかりで、俺が主導しようとした(せざるを得なかった)ことはほぼすべて失敗に終わったという記憶しかない。それもどのやり方がまずかったから改善すればというのではなくって、そもそも主導の位置に自分が座っていたことが最大の問題としか自分には思えなくって、そのたびに自分にはリーダーシップを要することがなにもできないという思い込みに入っていくわけだ。
ネガティブな思い込みの強力なところは、大概においてその思い込みが実現してしまい、そのたびに自分の中で思い込みの信頼性が増強されていくこと。あることが「自分にはできる」というポジティブな思い込みの場合、実際にはできたりできなかったりするのだから普通は単純に強化の一途を辿るわけじゃない。けど、あることが「自分にはできない」という思い込みは、そのあることを「やらない」ということによって至極簡単に具現化できる。その「やらなかった」ことこそが自分の思い通りに物事が進んでいることになって、ああそれでいいんだという気分を誘発してしまう。
状況によっては「やらない」で済まないこともあるが、やって失敗すればそれがまた思い込みの具現化となり、ますます思い込みは強化される。こうして強化された思い込みのもとでは、やったことが成功した場合においてすら、思い込みによって歪められた認知によってそれすらも失敗あるいは偶然と解釈される。すべてが思い込みの強化へとフィードバックされる。始末に負えない。
以上だけが理由のすべてではないし、「できない」と思い込むことが「本当はできるはず」という万能感を護る殻としてはたらいている面もあるのだろうけど*1、アグレッシブさが異常に低い自分の行動規範へ至るプロセスのひとつを後づけで説明しようとしたらこんな感じになる。

そして恋愛はといえば

もう触れなくてもいいよね…で終わるのもなんなのでちょっと補足めいたことを書くと、恋愛に関しては前述した「自分にはできない」というのがかなり本気の思い込みとして刷り込まれている。普段の生活、日常のコミュニケーションに関してであれば、できないと思い込んで完結できることばかりでもなく多少はやらざるを得ないのだけども、恋愛って必要ないですから、結局のところ。
恋愛不要っつっても、べつに人類にとって不要とまでいうつもりはなくって、以前にも書いてるように俺の恋愛への期待値が低いということです。現状、恋愛でいいことがあるとも幸せになれるとも期待していないというだけ。しかも「できない」思い込みからの解放は歳をとればとるほどに困難になる一方だし。*2

*1:本当はこの部分をもっと掘り下げるべきなのだが、それをやるといろんな意味で死にかねないので今日のところはカンベンな。

*2:そのへんは http://d.hatena.ne.jp/mrnkn/20050801#1122833696 (特にその後半)も参照