初見なので少し真面目に腹を立てておく
http://diary.jp.aol.com/uvsmfn2xc/696.html
と言っておきながら、
ただ、霞ヶ関の官僚機構の一部がアスペルガー症候群の人々に席巻されていると『仮定』すれば、日本の立法制度の根幹が崩れているわけでありまして、大変、由々しき事態であると、大変危惧はしています。
とあからさまな差別意図を平気で文章に込められるのはどういうことなんでしょう?
健全な向上心や自主性・主体性や健全な共感能力・応用能力があれば、(中略)そういった自浄化への発想が生まれるはずなのですが、彼らアスペルガー系官僚には、そういった発想が皆無なのです。
アスペルガー系官僚には「健全な向上心や自主性・主体性や健全な共感能力・応用能力」がないですか?「健全な」ってのはどういう意味ですか?
あ、もしかしてアスペルガー「系」ってつけとけば障害そのものを差別したことにはならないとか思ってる?なにその自分ルールは?共感能力や応用能力がないってのは誰のことだよ。
最初の引用文のようにさも自分はその手の障害とよばれる状態に対して偏見がないですよーみたいなことを言いつつ、それとまったく矛盾した差別的(表現ではなく)意図を常識であるかのごとく並べて書かれてるのをみると、単純な障害者死ね的言辞よりもはるかに腹立たしくなる。
だいたい、実際に自分に障害に対する偏見がなかったとしても、官僚機構のおかしさを障害に喩えて表現するのは読者が障害に対し偏見を持っていると仮定しているからだろう。その考え方自体が、障害に、また読者に対する偏見ではないのか。
偏見より、自分だけが偏見から解放されているかのような思い上がりの方が何百倍も醜い。