金魚運動で全て解決します。保存会

旧はてなダイアリー id:mrnkn で公開されていた日記です。更新はされません。

ダブルスタンダードと俺・SIDE Im

1.自分自身についてはありのままを受け容れて欲しいというのに、

2.女の子の側にはああであって欲しいとかこうであって欲しいとか願望を抱いていて、注文もつけている

というダブルスタンダードの存在

「俺ね、これ本当にダブルスタンダードなのかなと思って考えてみたのさ」
「んー」
俺の横で一緒にモニタを眺める彼女、そもそも何が問題なのかわかりませんという顔をしている。というよりこれは興味がない顔だ。やめといたほうがいいか。しかし話し始めて途中で止めるのもどうかと思って、かいつまんで終わりまで続けることにした。
「これをね、こんなふうに書き換えてみる」

1.自分自身についてはありのままを受け容れて欲しい

2.女の子の側についてもありのままを受け容れたい

「こうするとまあ、対等になるよね」
「まぁ……対等ではあるけど、はじめとぜんぜん違うじゃない」
「そう、これだけではまったく違う文に書き換えただけ。でもね、『彼』の本心は実際のところこうなのかもしれない」
「どうして?」
そう彼女は尋ねてみてはいるものの、あまり期待しているようには見えない。どうせ大したことは言わないと判っているからだ。実際そうなので、俺は努めて淡々と続ける。
「『彼』は、女の子のありのままを受け容れたい。でも、ああであって欲しいとかこうであって欲しいとか、そうじゃなきゃ受け容れられない条件は当然ある。とはいっても、『彼』がそれを特定の女の子に直接、そのようになってくれ……変わってくれ、と望んでいるわけじゃないんだ」
「どういうこと」
「たとえばある女の子が『彼』の前に現れたとする。そのとき、その子は偶然にも、初めから『彼』の課した条件を満たしている。『彼』の願望とは関係なくね。もし『彼』が、条件さえ整っている女の子をありのまま受け容れられるのだとしたら」
一呼吸おいて、俺は言った。
「このとき『彼』はその子に新たな願望を持つことなく、ありのままを受け容れることができる。『彼』は、そういう女の子に出会いたいと思っているだけ……だとしたら」
「……」
「だからもうちょっと書き換えると」
手元のキーボードを叩いて、再びモニタの文字を書き換えた。

1.自分自身についてはありのままを受け容れて欲しい

2.自分自身がありのままを受け容れられるような女の子と出会いたい

「……なんか、絶対はいそうですかって頷いちゃいけない気がするから頷かないことにするよ」
「えええ〜」
俺は大袈裟にがっかりしてみせる。内心では、こういうときの彼女の言い回しにあらためて感心していた。ここを「詭弁!」なんていかつい漢語一語で勇ましく跳ね返されたら、俺は相当堪えるに違いなかった。逆にいえば、彼女はそうは言わないという何となしの確信があるから、俺はこんなふざけた話を平気な顔でしてしまうのだ。やっぱり彼女に甘えてしまってるのだろうな、俺は……ふと、大袈裟にがっかりしてみせる俺、というのは、あまり「ありのままの自分」ではないな、と思った。
「たとえばさあ、自分自身をありのまま受け容れてもらうことについては何も変わってないよね。なんかずるいな」
「それもね、同様に書き換えることができるわけよ」
俺はさっきと相似形みたいな説明をちょろんとしたあと、三たび文字を書き換える。

1.自分自身についてありのままを受け容れてくれるような女の子と出会いたい

2.自分自身がありのままを受け容れられるような女の子と出会いたい

「ほらね」
「……やっぱりずるいよ。矛先が女の子から運命に変わっただけだよねえ」
興味なさそうだった割によく突っ込む彼女ではある。だがあんまり楽しそうというわけでもない。そんなに眉根を寄せると曲がり角のお肌にクセがついちまうぞ……とは言わない。
「まあまあ。でもこれで、最初と実質的にあまり変わらない命題のまま、『彼』と『女の子』との間を対等にできたことになるでしょ。だからダブルスタンダードではない」
「えー。なんかそういう問題じゃない気がするよ。対等にできたというより、対等にならない相手を見ないことにしただけだよ。だいたい、ないものねだりなことには変わりないじゃない」
「……そう、それは一度も否定してない。そこなんだな」
けっきょく、そこが問題なのだ。ダブルスタンダードと捉えるか否かは、見方によってどちらの立場に立つことも不可能ではない。だがそんな言葉弄りの向こうの事実、いずれにしてもその望みはあまりに薄く、そしてそう望む『彼』にはその途方無き薄さがわかっていないし、わかろうともしていない、ということが。
「だから、今まで話してきたことも、『彼』の現実と認識のあいだにある埋めようのないギャップをどう表現するか、の違いに過ぎないのかもしれないわけだ。そのギャップに橋が架からない限り、『彼』の望みは達せられない。自分で橋を架けるか、他の誰かが架けてくれるのを待つか。あるいは、天から橋が降ってくるのを待つか。そういう違いなんだろうなあ」
「ん〜、なんだかわかるようなわからないような、でもわかっても得した気分にならなさそうなのは確かだね」
「ま、そりゃそうだ」


「あーあ、理想の相手なんてのがいざ目の前に現れたら、わたしだったらかえって申し訳ない気分になってお近づきになんてなれなさそう」
「確かに……ね」
そもそも理想の相手なんて、実在しないことが前提だと俺は思っていた。実在しないからこそ、いくらでも高い望みを語れる。妄想とフィクションの中にしかいないからこそ、いくらでも要求を突きつけられる。ほんとうにそんな人間がいたら、それはほんとうに人間なのか?
「でも、俺も同じようなもんかも。理想の相手っていう考えから逃れられちゃいないもんな」
「ふうん?」
「理想の相手じゃない人、つまり自分を受け容れてくれるかわからない人ってことになるんだけど、そういう人と関わるのには……」
そこでふと何かを思い出し、俺はいちどそこで唾を飲み込んだ。思い出した何かはすぐまた霧散し、俺の思考を途切れさせた。三秒だけ考えて、
「……怖さが付きまとうんだ。だって、自分の言うこと為すことが相手にどう思われるか、いちいち考えなきゃならないから」
「そんなの、当たり前じゃない」
「そう、当たり前。だから俺は毎日が怖くてしょうがない。もし俺が誰かと毎日一緒にいるのだとしたら、その誰かにそんな怖さを感じたくない。だから」
「わたしと一緒にいるときも怖いの?」
このひとはときどきこう一直線に斬り込んでくるから油断ならない。
「……時々、ね」
「ひどいなぁ」
下唇を突き出してそう言う彼女の声の響きは、さっきまでよりむしろ晴れやかに聴こえた。
「面と向かって怖いって言われるなんてショックだよぅ」
「陰で言うよりはマシでしょ。それに、もう慣れたし」
「慣れた、か」
「うん、慣れたっていうか……いちいち気にしなくなった」
「えー、それってわたしの言うことを気にしなくなったってこと? やっぱりひどいよぅ」
「あわ。前より、ってことだってば。初対面のときみたくビクビクしなくなったってくらいの意味」
「ビクビクしてたんだ? 初めて会ったとき」
「そりゃ、普通に緊張くらいしてたよ」
本当は緊張どころでは済まないくらい、当時の彼女は俺にとって『怖い』存在だったのだけど、それは今あえて言うまい。
「うーん、それって、慣れちゃえば怖くないっていうことだよねえ」
「んー。まあ、そういうことになるかな」
「だったら、べつに理想の相手でなくとも、慣れてしまえばいいわけだ」
「そうね……って、なにがいいのさ」
「毎日一緒にいてもいいと。慣れちゃえば」
彼女は特に変わった調子でもなく、そう平然と言ってのけると、がふっ、と頭を横たえて俺の肩の上に寄り掛からせた。
軽く舞い上がる髪の先が目の前をくぐり、少し遅れて香りが鼻腔に届く。
俺、まだまだ話したいことの続きあったんだけどな。まあ、今じゃなくてもいいか。
すっかり地球の引力を俺に預けきった彼女。俺は、その彼女の上半身に押し潰された自分の左腕をゆっくり引き抜こうとする。その途中で小指の爪が彼女のカーディガンの裾にひっかかり、そのまま