金魚運動で全て解決します。保存会

旧はてなダイアリー id:mrnkn で公開されていた日記です。更新はされません。

http://d.hatena.ne.jp/nonomachon/20060807

最後のオナニーを終えたあなたへ。あなたには今無限の可能性が開けた。どんなに無能な人でも十年かければ天才と同じだけの仕事ができるんだ。あなたにはその時間が残っている。あなたの歩く道の後ろにはたくさんの白い粉が落ちているかもしれない。だがそれもやがて風が運んでいってくれるさ。あなたには輝かしい未来が待っている。だってあなたのチンコはやっと、前を向くことが出来たのだから。

「これ読んでさ、オナニーをやめてみたわけよ」
「うは……」
何の衒いもなくオナニーの話題にもっていく俺に投げかけられた彼女の視線には、半分の呆れと半分の安心が交じわっているようにみえた。
「そんなあっさりやめられたの?」
「俺も前から同じようなことは思ってたからさ。まあ俺がオナニーにかけてきた時間なんて計算してみてもせいぜい500時間くらいだったけど。でもそれにしたって、時給1000円で計算したら50万円。それだけの機会損失にはなるんだ、って」
「で、どうだったの? その時間を有意義に、生産的に使えてる? 人生を謳歌してる?」
「結論からいうと、ダメだったね」
「そりゃまたどうして」
「二週間は持ったんだけど…三週間目で」
「つい……?」
彼女の目がすっと下を向いたので追ってみると、わずかに手を丸める仕種をしてみせていた。なんだ、やっぱりそういう話好きなんじゃん。そういうところを少しでもみせてくれるようになったことを無性に嬉しく感じる。
しかし俺は首を振った。
「いや、もっと恥ずかしい話」
さすがにおぼえざるを得ない一瞬の躊躇。それをなんとか払って結論に持っていく。
「……三週間目の朝に」
「朝に?」
「出てた」
「……」
反応が止まった。
そもそも女性にとって夢精という現象がどれほどリアリティをもって想像できるのか俺にはわからない。現象自体は知識としてはわかっているだろうし、何が起こるのかとかそういう話も、説明されれば月経を知っている女性には容易に理解できるだろうと思う。だが、これだけ性に関する情報が氾濫している中で、夢精については現象の存在そのものが伏せられているかのごとく情報が少ない。だからどんなプリイメージを持たれているのか想像がつかず、いかなる反応をされるものかまったく予想できなかった。
二の句が継がれるのを待つ時間が耐え難く、俺はとにかく話をつなげようとする。
「前の日メチャクチャ疲れててさ、仕事から帰って着替えもせずに布団に倒れてて」
「……うん」
彼女の意識が明後日の方角に行ききっていないのを確認して、続ける。
「なんかね、やたら鮮明な夢をみるんだよね」
「……」
「内容は覚えちゃいないけど、ひどく色あざやかで、夢なのに感覚がいちいちはっきりとしてたことだけは覚えてて。で、わかるんだよ、あーダメだーこのままいっちゃダメだーって。でも疲れてるから身体は目覚めようもなくて。気がついたらこう……」
「……いいよ具体的に言わなくて……」
俺だって気まずい。やっぱり話すんじゃなかった、なんて今更遅い。
「……うん。でさ、その瞬間に目が覚めた。どうしようもなかった。その次の瞬間、スーツのズボンを履いたままだったことを思い出した」
「……」
その無言の刹那、依然として浮世の果てにあった彼女の表情が現実に戻ってくれたのをみてとり、俺はなぜかほっとする。いや、それ以前にとてもとても情けない気分に覆われているのは言うまでもない。あの目覚めの瞬間、鈍く残る腰の脱力感、急に鋭敏になる嗅覚、思い出すだけで、ああ。
「しかも、うつ伏せだったんだよね」
「……いくらだったの」
その深刻な声のトーンからして、彼女は悟ってくれていたようだった。クリーニングに出して済むものじゃあないってことを。
「五万円」
「……」
「50時間分」
「……換算したくないね」
「期間にしたら何ヶ月分になるんだろう、ってさ」
俺も彼女もそれっきり何も言わなかった。
エアコンの音が壁に呑まれていく。
雲間から西日が覗き、窓の内側に小さくひなたを作った。
その光に彼女の影がかき消されるのを確認し、俺はおもむろに窓に背を向け、ファスナーを