金魚運動で全て解決します。保存会

旧はてなダイアリー id:mrnkn で公開されていた日記です。更新はされません。

自殺したいから拳銃を、と警官に迫って逮捕

http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20050220STXKA030920022005.html
http://www.shizushin.com/local_social/20050221000000000011.htm
その捕まった人のサイトらしいがきっと近日中に消えるんだろうな。
http://2.suk2.tok2.com/user/mig29/ 日記
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Oak/8133/ トプページ


以下、ただの感想。


なんつーかこういう日記を読んでいると空おそろしくなってくるな。
なにがって、いつか自分もこうなる可能性や、近しい人達がこうなる可能性が無視できない大きさで存在するんじゃないかと思ってしまう。


多くの犯罪者の生い立ちや生き様が報道されたり、最近ではその人のつくるウェブサイトの存在が公になったりして私生活がバラされたりすることがあるけど、大抵のばあいはそんなに自分との距離が近いとは思えない。
俺はオタを自認するが、犯人がオタであるようなことがクローズアップされがちな犯罪、たとえば幼女をアレコレしたりするようなので捕まる人がいても、自分が同じ道をたどることは想像できない。その方面の犯罪と自分との間にははっきり線が引かれていると感じられる。彼等と自分とははじめからどこか違っていて、自分にはこの道を歩む可能性はなかった、と。古くは宮崎某、新しくは小林某だが、ちょっと前の夜ノ森某についても俺にしてみればこちら側に属する。


しかしこの犯罪者については印象が異なってしまった。ニュースだけ見ていたら別にたいしたこと考えなかったのだろうが、この日記あるいはサイトを見てしまうと急速に自分との距離が近づいてくるかのような感じがしてしまう。
というか、自分がこうなる可能性があったというか、人生の途中のある所まで同じ、いや同じじゃないけどある意味で自分と交換可能な人生を歩んでいた人間がどこかで道を分かち、この結果へ至ったかのように見える。
自分と彼との間に溝を見つけられない。さすがに今の自分はこうはならないだろうけど、過去数年前の自分と彼との明確な違いを見出せない。そして未来の自分についても。


そういう印象を持つに至るのには自筆のウェブや日記を読み得ることが大きく効いている。
とくに日記という媒体は日常と非日常を行き来する連続体としての毎日をいやがうえにも意識させる点がおそろしい。さらに内容に共感するところがあったりしてしまうともう。あかんですよ。内容に興味持てずにいられさえすれば、こいつだって俺とは何の関係もなく捕まっただけの話なのにさ。


http://2.suk2.tok2.com/user/mig29/?y=2003&m=11&all=0
2003年11月28日の日記から引用。この頃、大学を辞める辞めないの話をしてるようなのだが

思えば小学生の頃から俺は蔑まれてきた。「弱小」。それが俺の代名詞であった。小学生の社会では、運動能力がその人間の価値を決めるものである。足の速い者がそのクラスの頂点に立ち、運動能力の劣る者はさも「人間的に」劣っているかのようにあしらわれる。それが子供の社会というものだ。俺は蔑まれた。運動能力はないが俺はプライドだけは高かった。屈しなかった。だからこそ蔑まれた。

いやもう、これに本気で共感するわけだよ俺は。俺の小学生時代をこの引用でそのまま総括できると言ってしまえるくらいに。自分自身は中学受験によってこの苦境を抜け出したが、もし受験に失敗していたら、あるいはもし大都市圏に住んでなかったらと思うとぞっとする。


たまにはウェブ日記っぽい内面発露を書いてみた。
まあ本当のところどうでもいいんですけどね。つーか半分くらい嘘だし。けど半分くらいは本当に思ってるな。