金魚運動で全て解決します。保存会

旧はてなダイアリー id:mrnkn で公開されていた日記です。更新はされません。

オタクとファッションとライフスタイルの話は間歇的に蒸し返されるようです

脱オタクファッションの限界 - 30代からの脱オタク
を読んで、なつかしきデジャヴ。

毎年1度くらいはこの話題が蒸し返されるみたいだ。俺の中で。


この話題についての最近の俺のスタンスは、「自分のアイデンティティをオタクであることに依拠しすぎていると、ファッションをいくら変えてもオタ臭は消えない」といったあたりだろうか。
きわめて感覚的で、まとまってもいないので他人に伝えるべき段階ではないのかもしんないけど、「拒脱オタ」「避脱オタ」みたいなかんじ。語呂が悪いが、モテに対する拒モテ避モテのように、脱オタを意識的あるいは無意識的に恐れたり否定したりしている状態。脱オタで大事な何かを失うかもしれない、それがこわい。そういう気持ちを心のどこかに残しているかぎり、着衣やアクセサリー類だけ変えても根本の自分の意識が変わらんのですよ。自分の意識が変わらん限りは外へのアクションの仕方も会話時の反応も変わらず、悪い意味でのオタ的な仕種しかとれないままですよ。


で、それを打開しろとは言わないまでも、だったらどないしたらええねんと自分に反問してみたとき、俺はどうしてもげんしけんのコーサカをその向こうに見てしまう。べつにコーサカのように美形である必要なんてないんですよ。ただ「それはそれ、これはこれ」って、方面の違う趣味や行動パターンをナチュラルに併存させられないだろうか。ナチュラルにエロゲーしたり声優ソング聴いたりする一方でナチュラルにファッションも向上できないか。ナチュラルに泣いてる彼女を腕に優しく包んであげられないか。やっぱ無理か。でも1割でも2割でもいいから彼の有り様からヒントを引き出せないかとは未だに思う。

だから前からストーカー防止法こそ恋愛禁止法なんだって言うてたやん(俺が)

まず、これは男性が昔よりも、女性に声をかけにくくなった事情があるように思います。
それは「ストーカー」という言葉や概念が洪水のように一般化したことに一因があるでしょう。

“30 歳からの恋”を邪魔するもの | 女子リベ 安原宏美--編集者のブログ

これを読んで見出しのよーなことをば思いました。前からストーカー防止法によって俺は恋愛を禁止されたと半ば本気で思っているのです。(参考)

希望格差って言葉ももうみんな忘れているのだろうな

orangestarの日記
危険な文だ。論理的にはいろんなところで突っ込みを入れられそうなのに、押し止められぬ心底からの共感が俺の理性を圧殺する。ただただ肯定せよと感情が俺に命じる。
実際、俺自身を含め、近しい友人の多くがこの感覚のもとに生きていると思う。親元から離れないかどうかはさておき、60過ぎて働けなくなったらそのままこの世からおさらばで構わないという感覚は確実にある。いくら年金を払っても老後にそれが返ってなど来ないと思っている。いざ老後を迎えてみて身体が動かなくなっても、頼る先などないと直感している。むしろ俺らってもう日本人としては実質的に最後の世代なんじゃないか。20年30年あとの世代は絶対数の減少のみならず、もう日本に残る理由などなく世界中の栄えた地域へ四散していくのではないか。
しかし。そういう感覚を同世代みな共有しているかというとそうでもなさそうなのだ。近しい友人よりも外側の知人(仕事場の同世代など)になると、意外と旧世代的な家族観や人生設計をしているようで、20代で結婚して第一子をもうけ、あまつさえローン組んで家買ったりしてたりする人もけっこうな割合で存在する。彼らが本心から旧世代の価値観を信じているかどうかまではわからない。俺らと同様な刹那的な気分をもちつつ、親や周囲を安心させるための義務感から安定した家族生活を目指そうとしているのかもしれない。でも、そういう旧世代的なルートにローンまで組んで進むのだから、数十年先までその旧世代的な考えに人生のそれなりの部分を委ねる覚悟があると言ってよいのだろう。その覚悟があるだけでも、俺などとの間には深いクレバスが横たえられているも同然だ。
ああそうか、これが希望格差というやつか。日本の未来に希望のある同世代のみなさん、がんばってください。俺らの希望?食って寝てオナニーできればそれでいいです。