金魚運動で全て解決します。保存会

旧はてなダイアリー id:mrnkn で公開されていた日記です。更新はされません。

「第一歩」を踏み出すのが大切だというけど、じゃあ誰がそこに導いてくれるというのだ?

そんな状態の人が、少しでも努力するという事がどんなに大変か。その、努力しようかな、っていう気になるのがどれだけ奇跡的な出来事か分かってない。
上の増田は、本当の底辺を舐めたことのないひとなんじゃないかなって思ってしまう。

努力をするにも原資がいる。 - ガイチ帝国繁盛記

この記事を読んで、昔じぶんでも書いたことがあるような、と思い出した。
http://d.hatena.ne.jp/mrnkn/20050801/1122833696
あることについて、そのために努力することに対してなんの希望も持てない状態に置かれている人がいるとする。希望が持てないってのは大雑把にいって、まったく期待ができない、プラスの期待値を見積もれないってことになる。
で、それでもそのことへの努力をさせるには? そう考えるとけっきょく、無理にでも擬似的にでも「成功体験を積ませること」しかないと思うのだ。
たとえば有名な公文式のプログラムのひとつで「体験学習」ってのがあるんだけど、

はじめに、「学力診断テスト」を行います。その結果をもとに、お子さまがすらすらできる段階の教材から学習を始めます。
保護者の方から見ると、教材がやさしすぎると思われることがあるかもしれませんが、お子さまの「やってみたい!」という気持ちが膨らむスタート点です。

無料体験学習: ためしてKUMON 教室へ行こう | 公文教育研究会

これなんかまさに、「すらすらできる」という成功体験をベースとした期待を持てるスタート地点に立たせることによって第一歩をスムーズに踏み出させる、という考え方に基づいてんだよね。

「原資」は必ずしも金とは限らない。ネットにつながっている環境があるのならば、ネットを通じていろいろ学べばいい。

あとはやる気の問題だが、どうしてもやる気がでないようならば、カウンセリングしてもらうことをおすすめする。

「本当の底辺」とはナニか。自分がこの世で一番不幸だと思ってはいないだろうか?悩んでいる人の多くはそう思う傾向にある。

食べることはできるか?両手両足ついてるか?体は普通に動くか?歩けるか?全部満たせばまず「本当の底辺」ではない。

世の中にゃ貧困で餓死する人もいる。それが本当の底辺でしょう。

自分を磨けばいいじゃないか - http://rubikitch.com/に移転しました

こういう反論が当然のように出てくる。
たしかに原資は金とも限らないし、持って生まれた身体や顔だけとも限らない。でもネットでなんかして手に入れられるようなもんでもない。ここでいう原資は「それまでの体験と、そこから弾き出される期待値」だろう。いくら自分よりさらにどうにもならない状況が存在したとしても、ある努力に関して「やらない方がマシ」である限り、底辺であることに何の違いもないのだ。
「努力してなにかいいことがあるのか? あんたらは努力すれば道が開けるとただ言うだけだ。でも、あんたが努力した結果道を開けたにしても、俺にはまったくの無駄かもしれないじゃないか? 否、俺にとっては今まで実際にまったくの無駄だったんだよ! 努力は無駄じゃないって口で言われてもいっさい信用できない、どうすればそれを実感できるんだ? 俺にその実感をくれよ!」
そう反駁されたときに「それは甘えだ」と切って捨てるならば、その人の言葉は結局のところその相手に通じる力を持つことはない。どんなに甘ったれてると思えても見捨てずに回答し続け、努力を始められるようになるまでサポートできる人間だけが、「やる気の問題」とか「本当の努力」とかいう言葉を無駄にせずに伝えられる。俺はそう思う。


さて、現実にそれはどの程度、可能なんだろう。
勉強やスポーツならば、適切な指導を受けることで「できなかったことができるようになる」、という自分の能力向上をもって努力の成果を実感でき成功体験となり得る。先に挙げた公文式の例も、だからこそ機能している。
でも、人づきあいは相手がいるものだし、恋愛に至っては惚れる惚れないとか他人(第三者)の目とか、成功を左右する外部の偶然的要素が多過ぎる。そこへ成功体験を確実に提供できるってなんなのだろう?! エロゲの家庭教師みたいな存在しか思いつかない。
俺には無理だ。