金魚運動で全て解決します。保存会

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ここ数年切手を買ってない俺の郵政民営化に対する実感の無さは異常

きょうをもって郵政が完全に民営化されたようだけど、実感の無さが異常だ。
よくよく考えてみたら、俺ここ数年にわたって、郵便を利用した記憶がないな。正確に言うと、郵便局にサービス料を払って何かしてもらった記憶がない。郵便物を受け取ることはあっても、こちらから送ることがほとんどない。あっても料金後納か別納ばかりで、最後に自分で切手を買って貼って何か送ったのがいつなのかはもはや思い出せない。年賀状も出さなくなって久しい。
俺は郵政民営化には消極的に賛成というつもりでいたが、そもそもこんな具合でメインの郵政業務がどう変わろうと自分への影響を肌で感じられない状況下にいるような俺には(ちゃんと勉強しないかぎり)民営化の是非など判断する資格がなかったのかもしれんなあ、などとふと思った。たとえば小為替の手数料が10円から10倍の100円になると知っていたら、それでも民営化に賛成していただろうか、と。実際にはほとんど影響を受けないけど、もし同人誌の個人通販等に手を出していたらおもいっきり影響を受けていたに違いない。
で、俺が気になったのは、小泉内閣当時に郵政民営化に賛成または反対のどちらの態度だったかと、実際にふだん郵便局・郵政公社(当時)のどの種類のサービスをどれほどの頻度で利用していたかとの間に相関があったりしないか? ということ。いやもうひとえに俺自身がそうだったからというだけのことなんだけど、郵政業務をふだん利用している意識が無く民営化の影響を自分のこととして考えられないひとほど「民営化して無駄をなくせ!」という掛け声を肯定的に受け止めていて、逆にふだん利用しているひとほど民営化によるサービスの弱体化等の悪影響を敏感に察知して反対に回る、という構図が隠れていたりするのかもしれんな、と。
利用しているひとについては、ふだん利用しているサービスの向上を期待して賛成する流れもむろんあっただろう。だが、そもそもサービスを利用していない、または利用している意識のない層というのがいて、そういう人達は郵政サービスがどうなろうと知ったことじゃなかったのではないか。郵便というサービスやシステムの行方はどうでもよくて、ただ「ムダだから民営化、つーか既得権に群がる寄生虫を潰せ」という流れにだけ反応して郵政民営化に賛成している人達の存在。そうしたいわば「無郵派層」のような存在が、じつは郵政民営化に絡んだ世論や選挙結果に、あのときそれなりに大きく影響していたのではないか。
なにをいまさら、と思われそうだが、実際俺は前述のように郵政サービスを利用している意識がここ数年なかった一方で、郵便は日本住民の誰もが普通に使っているもんだと同時に思ってもいて、郵便を実は使ってないかただ受け取るばかりかという人々の存在に(自分がまさにそうであるにもかかわらず)気がつかなかった。そいでもって今日になって急に気がついたので、だらだら書いてみただけだ。


郵便貯金は利用しているのだが、これもゆうちょ銀行といういち民間銀行に(形としては)なるはずだ。さて、口座に眠ったままのx万円をどうしたものだろう。