金魚運動で全て解決します。保存会

旧はてなダイアリー id:mrnkn で公開されていた日記です。更新はされません。

さいきん、はてなダイアリーを読んでいると悲しくなることが多い。
俺の読んでいるはてなダイアリーもちろん偏っているのだけど、ここ半年ほどはそのラインナップはほとんど変化していない。
その変化していない陣容のダイアリーたちを読んでいるはずなのに、半年前と比べて、いや3ヶ月前と比べても、このごろの俺はやたらと悲しくなるのだ。
理由がいまひとつわからない。
揉め事が多いなんてのは以前からのことだ。
半年前だったら嬉々として自ら首を突っ込んですらいた。
それなのに今は。


悪意ならば糺すもよし。
無知ならば諭すもよし。
ネタならば乗るもよし。
しかしそれらは期待を込めるからこそできることだ。
その行動の先に好転のイメージを抱くからこそ。
好転とは必ずしも相手や全体のそれを意味しない。
ただの自己満足、言いたいこと言ってすっきりするというだけでも、動機としては十分ではある。
それなのに今は、それすらも見えない。


俺はあまりに無力で、
俺が何をしようともここは生きづらくなるばかりで、
俺が何もしなくともやっぱり生きづらくなるばかりで、
彼等はいつまでも解りあおうとせず争い続けていて、
俺の立てる場所は日に日に狭まっているようで、
誰も俺を押し潰そうとしていないはずなのに、俺は押し潰されそうになっている。
俺の身に走っているわけでもない痛みを勝手に横取りして、悲しくなっている。


確かなことがひとつあって、
ただのネット上の文字列から惹き起こされた悲しみであっても、
俺にとっては分け隔てようなく、ただ悲しみは悲しみだということだ。
抽象化も分類も、しようと思えばできるだろうが、それは所詮悲しみの内側のこと。
鉄が金にはならないように、悲しみは悲しみであり、悲しみでない何かにはならない。