金魚運動で全て解決します。保存会

旧はてなダイアリー id:mrnkn で公開されていた日記です。更新はされません。

俺が喫煙者を嫌うのは臭いからではない。

id:tebukuro:20041003
tebu曰く。

君らに非を唱えているのは「嫌煙者」という思想集団ではない。君の吐く煙を「臭えな」と感じているが口に出さない、普段身近に接しているごく普通の人々だ。

この一文について俺は「違う」といっておかなければならない。煙草を嫌う、より正確にいえば近くで煙草を吸われるのを嫌う人間として、その理由が「煙臭え」だけでなんて決してないことを言っておかなければならない。
煙草はそんなに臭いか? たしかに煙草臭さというのは無視できない要素ではある。しかしそれで具体的にどんな害を被るかといえば、不快というだけなのだ。それも、その不快さはコモンセンスとして共有されていない。人前で煙草を吸える人間に、その煙が不快であることを理解させられるだろうか?実際に喫煙者の中にも他人の煙の臭いは不快であるという人間はいて、そういう人は吸う場所をきちんと選ぶし、煙草の嫌いな人間といるときの吸い方にも気を遣っている。しかしそうてはない、言ってもわからない人間にとっては、そもそも煙草の臭いが不快であるという命題が脳内に存在し得ないのかもしれないし、不快であるということがら自体を了解できても「どの程度」不快にさせているのかを体感的に共有できないかぎり、その重大さが喫煙そのものの快楽に優先されるということはあるまい。そしてそういう人間は確実に存在している。他人を不快にさせるとわかっていてもそれだけで着火の手癖を止めることはできない(とくに中年以上の年齢層に多いように思われる)。煙草の臭いは自分にとって不快、という主張ならばわかるが、煙草の臭いが不快だというのが「普通」でありそれを感じないのは「異常」である、という主張は主観の域を出られないものだと個人的には思っている。
そもそも他人というのは普通にいやな臭いを発しているものだ。ふつうに生活する範囲で人体からの臭いをほとんど感じずにいられるのは、現代日本の都市部に暮らし、もともと体臭が薄いうえに高度に清潔な暮らしに慣らされ、自分の臭いを消すことに余念のない日本人とばかり関わっているからだ。臭いがいやだから煙草は迷惑だ、という主張をたとえば欧米でするとき、「臭いがいやなら香水をまけばいいじゃない」とばかりに街中に香でも炊かれてカムフラージュでかわされたらどうするのか。臭いがいやなだけの人はそれでいいのか。そんなことはないだろうと思うが。


俺はそれとはまったく違う理由で他人に喫煙されるのを嫌っている。煙草の煙が目に入るとひどく痛み、視界が霞む。喉に入れば咽せ、咳を催す。「煙草を吸うと咳払いする奴の行為はわざとらしい嫌がらせでしかない」ということを言う輩がいるが俺に関しては半分しか当たらない。俺は公道で喫煙者とすれ違うときに目を細めて咳払いをすることがあり、そこにはたしかに半分嫌がらせ的な意味もあるが、そうでなくても予防の意味で咳払いをし、その刹那に大気を吸わないようにしておかないと呼吸に変調を来す。
これは喫煙可のレストランや飲み屋のような場所でも同じだ。そういう場ではあらかじめ喫煙を認められた場所と了解しているから、あえてその行為に嫌がらせするようなことはない。そのかわり、飲食や会話の際に煙が目や呼吸器に流れこむことができるだけ少なくなるように位置取りやタイミングに細心の注意を払う。うっかり吸ってしまえばまるで図ったように咳き込んでしまい、あらぬ誤解を招く危険がある。


つーことで、煙草を売ってる会社の人ははやく臭いも煙も出ない煙草を開発してください。あとできれば火をつけなくても効果のあるやつ。あ、噛み煙草。噛み煙草といえばクロマティだ。バンザーイ。