なにかを辞めるということ
http://d.hatena.ne.jp/dopamine/20050406#p5 より。
なにかを辞めるというのは簡単な場合もあり難しい場合もある。
掲示板だのブログだのネトゲだので辞めたい辞めたいいっていながら実際にはなかなか辞めない、というのも、実際に辞めるのは見方によって簡単にも困難にも見えるだろう。
たいがいにおいてそのパターンに陥る人間は依存症であり、本当に辞めたいという気持ちを持っていながら、より低レベルな深層心理の働きや、たんに手癖のせいで辞められなかったりするのだ。
あるいは友人知人を失うことに臆する気持ちもあるだろうが、なにかを辞めたくらいで失われるつながりならば実際には失ってもたいしたことなどない。そんなものは依存症の口実にしかならない。辞める辞めるというだけのカマッテ君にしたってけっきょくは依存症のひとつのあらわれに過ぎない。
実のところ俺も常に、あやしいわーるど界隈に入り浸ることを辞めようと考えている。ただし完全に辞めてしまうことはデメリットが大きいので実際にはしない。ただ単に脳内占有度・時間占有度が高く、他のことをするための時間や体力や意欲が削がれているから、割合を落としたいと考える。しかしこれはスッパリ辞めてしまうことよりもよほど難しい。どうしてスッパリ辞めないかといえばそれなりの情報獲得や娯楽メディアとして俺にとってある程度の価値があり、それを享受できることのメリットは捨てたくないと思うからだ。もちろん依存症の側面も否定しない。
一時期俺は本業上の必要に迫られ、ぁ界の某板をみるのを辞めようとしていたがなかなか果たせなかった。しかたがないので当時使用していたMoon Browserの禁止URLにその某板を指定し、ブラウズ不能な状態にして過ごした。まあ一定の効果はあった。
最近でははてなやミクシィへの依存度が高く、完全に辞めるとは言わずとも多少なりとも占有度を落とさねばならないと思い、先月のいつかの時期にはてなアンテナのエントリをすべて削除した。まあ一定の効果はあった。というか見事なまでに他人のはてなダイアリーを見なくなった。それ以前と比べればその頻度は9割以上落ちた。しかしまだまだ足りない。いまだにミクシィでは足あとを5分おきにリロードしている。詳細は記さないが確かにあのシステムは依存体質を生み出しやすいような気はする。もっと距離を置かねばならない。ミクシィに関してはスッパリ辞めることは他のサービスよりはるかに簡単だ。アカウント消せば一切の機能を利用できなくなるのだから。そしてアカウントが残るかぎりその閉鎖的で中毒的な世界はいつでも目の前に開かれており、依存との戦いは続く。アカウント消したらどんなにか楽だろう。でもそれはある種アカウントがあるだけで依存してしまいますという自分への敗北宣言のようだ。だから悔しいのでしない。(でもこのさき状況がのっぴきならなくなったら本当に脱退してしまうかもわからない)
日々こうやって、セルフコントロールできない俺はメリットとデメリットを秤にかけて外部を選んだり捨てたりしながら生きている。このあと何を捨て、何を選べばよいのか。残された時間はわずかしかない。
…と、このように難しく考えてるふりした日記も実はたんなる自分語りのカマッテ君的行動だ!そんなことは一目みりゃわかるじゃないか!しかし実際のところあんまり反応を求めちゃいないのだけど。それよりは書くだけで心理的にすっきりするからやってるだけ。えーなんだってー同じことじゃんだってーうるせーよ!そういうわけで俺はもうダメだ。なんだかとっても眠いんだ。寝る。
ヒント:飽きる
俺と声優の接近遭遇履歴
http://d.hatena.ne.jp/dopamine/20050404#c このへんをみてしげきされたのでかいてみる!自慢!カマッテ!わらぃ
履歴とはいっても接近距離順に並べる。なおライブやイベント等での出演者と観客という関係は除く。
- 池澤春菜(30cm) 1998年、東横線車内にて
- 宮村優子(50cm) 1997年、ソシャル防止のため詳細略
- 難波圭一(1.5m) 1987年?、ソシャル防止のため詳細略
- 野沢雅子(3m) 1998年、東横線車内にて
- 植田佳奈(5m) 2004年、某歌手ライブ終了後のロビーにて
あとは清水愛(コミケにて)と桃井はるこ(笹塚近くの交差点にて)とも遭遇したかもしれないが人違いの可能性もあるので外しておく。
それはともかく、美人声優さんは俺んちの隣にとっとと引っ越して窓から侵入してきてください。というか20年前にタイムスリップして俺の幼馴染みになってください。たのむよ。